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これで謝罪になったのか(亀田一家) [エンタ・スポーツ・イベント]

「反則認め、時に涙も 亀田興毅選手」(iza!)


亀田一家を代表して長兄興起毅が仕切り直しの謝罪会見を行った。
ライブでは見られなかったので詳報をもって知る部分が大きいのだが、一言で言って「ここまで追い詰めて良いものだったのか」ということだ。

会見自体、真摯なものだったようだが、まだまだ亀田スタイルは抜けておらず暗中模索、日々葛藤というところなのだろう。
しかし、これまで謝罪や反省したことのない人間にとっては最大限のものだったと受け止める。

彼らの問題行動は社会が作り上げたものであって、彼らだけの責任では決してない。
しかし、演出した側も支援した側も「われ関せず」に徹して責任を全て押し付けた形となっている。

まず、ボクシング業界について考えてみれば、彼らが独自の練習場を持っていても「自主練習として考えていた」と言って規則違反のジム外練習を認めていたのでおり、その認めていたということに対してどのような処分を下したのか。
マッチメイクにしても「噛ませ犬戦」を平気で認めてランキングを上げることを黙認していた。
要するに他の選手においても同様のことが行われており、規制するにできない状態であったともいえる。

支援者やフリークと言われた人たちはどうだろうか。
これらも掌返しを決め込んでいる。
私のブログでも幾度となく批判を受けてきたが、どう彼らを守ってやろうと考えているのかぜひお聞きしたいものだ。
いったい、あれだけいた輩はどこに消えたのか。

一番の戦犯ともいえるマスメディア、特にTBSは「亀田バッシング」を展開しているが、恥ずかしくないのだろうか。
演出してこれだけ盛り上げたことに対して、謝罪の一言もなければ自らの関与すら否定するかの如くだ。
TBS以外にしても興毅の「疑惑の世界戦」までは持ち上げる一方だったではないか。
さすがにあの疑惑以降は「アンチ好き」の朝日新聞関連が批判を始めたものの亀田一家に対してのみにとどまり業界や関係者への呼びかけなどはしていなかった。

気づく機会、変えられる機会は何度もあった。
私はブログで批判記事を書いてきた者として、井の中の蛙であった彼らを救いだせなかったことに非常な悔いが残る。
もう少し何かできたのではないか。
単なる批判記事に終始してしまったのではないかと。
小さな力でも何かはできたはずだと。

ヒールだったものが突然善人になれるわけもない。
まずは、彼らの反省とやらをジックリみながら、再チャレンジさせてやりたいものだ。

前記事

小さな一歩だが大きな一歩(亀田一家)

関連資料
興毅選手と金平会長・会見要旨(1)
興毅選手と金平会長・会見要旨(2)
興毅選手と金平会長・会見要旨(3)
興毅選手と金平会長・会見要旨(4)
興毅選手と金平会長・会見要旨(5)
興毅選手と金平会長・会見要旨(6)
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興毅選手と金平会長・会見要旨(8)
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興毅選手と金平会長・会見要旨(11)


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コメント 11

kenji47

>しかし、これまで謝罪や反省したことのない人間にとっては最大限のものだったと受け止める。
今回の謝罪会見についても、
「オヤジが出てこないから納得できない」
などと言う人がいますけど、そういう人には、
「納得するもしないも、あなたには彼らに謝罪を要求する何かしらの権利があるの?」
と聞いてみたい気がします。
たぶんボクシング関係者でもないんだろうし、監督官庁でもないですよね?
または、会場に金払って観戦に来てた人なら「金返せ!」って気分だろうから謝罪を要求できるかもしれません。
でも、その他大勢のほとんどは、たいして熱心なファンでもなくどうせ暇つぶしにテレビで見てただけですよね?
だとしたら、彼らに頭を下げることを要求する権利があるかどうかよく考えたほうがいいでしょうね。


>彼らの問題行動は社会が作り上げたものであって、彼らだけの責任では決してない。

このご指摘は少年犯罪の問題などを考える際にも通じるものがありそうです。
そういう点でも今回の騒動はいろいろ考えさせられるものがありますね。
by kenji47 (2007-10-26 22:19) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
亀田一家にだけの謝罪について批判するのであれば「何の権利があるのか」ということになると思います。
ただ、多くの人は亀田一家に対して批判しながら、その奥にメディア(TBS)であったりボクシング業界であったり、「作り上げた側」「儲けた側」に向かっているのだと思います。
だからこそ、「ただテレビでみていただけの人間」も騒いでいるのではないか、と私は思っています。

「噛ませ犬」にしても「隠れた反則」にしてもこれまでもあったのだと思います。
それと「上手く立ち回る」ことによって「感動」を作り上げていた、演出していた。
市民も暗にそれを受け入れつつ楽しんでいた。
今回は、あまりに度が過ぎたためにこのようになってしまったわけですが、その責任をメディアや業界がとろうとしていないことへの怒りを持っているのだということです。

少年犯罪との関わりですが、私としては「ここまであからさま」なものだから「社会が作り上げた」「彼らだけでない」といいましたが、ただ安穏と生きて来ておいてそれを周囲(社会)のせいにすることとは別だと思っています。
光事件について言えば、「社会に甘えている」と思えます。
ですので、個々の事例毎に判断はことなるでしょう。
by 南雲しのぶ (2007-10-27 06:05) 

kenji47

>ただ安穏と生きて来ておいてそれを周囲(社会)のせいにすることとは別だと思っています。
光事件について言えば、「社会に甘えている」と思えます。
ですので、個々の事例毎に判断はことなるでしょう。

いいえ、結局社会の関わり方は程度問題だと思いますよ。
亀田家の場合は衆人環視の中での出来事ですから皆さん事情はよくわかっているのですが、少年犯罪の場合は「ただ安穏と生きて来た」かどうかも多くの人は知らずにまた知る気もなく発言しているわけです。
片方は100%個人の責任で、他方は0%ということはありえません。
すべては程度の差こそあれ、その中間にあるのですよ。
by kenji47 (2007-10-27 07:47) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
いや、やはり違うでしょう。
亀田一家のようにテレビ局が演出して、それもボクシング業界の中の問題と実母が死亡し再婚した継母が若い外国人だから家庭環境が複雑という訳の分からない理由で人を二人も死なせてしまったこととは全く違うでしょう。
片方の責任があってもう片方の責任が無いなどということではなく、中間であってもどちらに近いかによって差はつきます。
社会の寛容性に値するだけのものかどうか、ということでしょう。
by 南雲しのぶ (2007-10-27 20:08) 

kenji47

重大さが違うのは当然ですよ。
でも、本人だけでなく環境要因も存在するのは事実でしょう。
私の主張は環境要因はゼロではありませんよね、というだけであって、彼に責任がないと言っているわけではありません。
そういう意味では、差がついたとしても程度問題であることは否定しがたいと思います。

>亀田一家のようにテレビ局が演出して、それもボクシング業界の中の問題と実母が死亡し再婚した継母が若い外国人だから家庭環境が複雑という訳の分からない理由

どちらも子供にとっては非常に大きな影響のある事実だと思いますよ。
引用した部分をもう一度読んで見てください。後者を「訳の分からない理由」と言うのだったら、亀田家の騒ぎこそ訳の分からないような中身のないものです。

>社会の寛容性に値するだけのものかどうか、ということでしょう。

社会に寛容されるものだったら環境要因が認められ、寛容されないものだったら環境要因が否定されるというのはおかしくありませんか?
非論理的ですね。
どちらも環境要因はあるのは間違いありません。
結果の重大さで影響が認められたり認められなかったりするのはおかしいです。
両者の差はたんに事件の重大さの違いだけだと思います。
そして、重大な事件だから環境要因があっても本人を厳しく処罰する必要がある、というのが論理整合的な帰結だと思われます。

もう一度繰り返しますが、刑事事件とスポーツの世界に留まる問題とは重大さは当然違いますよ。
ですが、そうした法的評価などを一度度外視した一段抽象的なレベルで捉えれば共通点はあります。
by kenji47 (2007-10-27 21:44) 

kenji47

>片方の責任があってもう片方の責任が無いなどということではなく、中間であってもどちらに近いかによって差はつきます。
社会の寛容性に値するだけのものかどうか、ということでしょう。

もう一度、南雲さんのコメントを読んでみたのですが、これは私のコメントに対しての肯定になっているのか否定になっているのか判然としません。
差がついて社会の寛容性に値するものでなかったとしても、それは差がつくだけのことですから、環境的な要因は存在することは認めるということですよね?
認められるとすれば、程度の差こそあれ本人だけの責任ではないということになります。
だとしたら、

>彼らの問題行動は社会が作り上げたものであって、彼らだけの責任では決してない。

この南雲さんの発言は、少年犯罪に対しても矛盾なく維持されることになりますね。
by kenji47 (2007-10-27 22:00) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
法律で認められていない犯罪とその仲間内だけのルール違反では対応が違うのは当然でしょう。
守屋前防衛事務次官の件でも、省内のルールに違反しただけだから、追求できるのにも限界がある。
「それ以上のこと」というのであれば、それは社会的制裁しかないでしょう。
その社会的制裁は社会の寛容性によって決まってくるのではありませんか。
事例毎に寛容できることなのか否かを判断するわけですから一元的にはとらえることはできません。
ですから、この件は許すがあの件は許せないという結果になってもおかしいとは思えませんが。

すべてに環境要因があると言うのはkenji47さんも私も同じ認識だと思いますが、個々の判断をどこに置くかは一人一人違うのは当然ではないでしょうか。
by 南雲しのぶ (2007-10-28 07:08) 

kenji47

>この件は許すがあの件は許せないという結果になってもおかしいとは思えませ
んが。

許す許せないという問題を言ってるわけではありません。
「環境要因はどちらにもありますよね」
と言ってるだけです。
許すか許さないかはその後の問題です。
by kenji47 (2007-10-28 21:18) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
私も最初からそう言っているつもりですが・・・。
だから、その先の話しをしているわけですが。
環境要因はどんな事象にもある訳で、それは個々の事例で判断し、今回の亀田事件ではもう終わりにすべきでは、ということです。
by 南雲しのぶ (2007-10-29 05:43) 

kenji47

>彼らの問題行動は社会が作り上げたものであって、彼らだけの責任では決してない。

だからこの見解は少年犯罪についても矛盾なく成り立つということですよ。
by kenji47 (2007-10-29 22:10) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
軽重や情状の判断は別の問題ですがね。
by 南雲しのぶ (2007-10-30 06:15) 

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